2010年1月10日顕現節聖餐礼拝”主の洗礼Baptism of Our Lord"岸野豊牧師
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投稿日時 2010-1-14 18:57 | 最終変更
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居住地: Irvine, CA
投稿数: 293
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2010年1月10日顕現節主日聖餐礼拝
マタイによる福音書 3:13-17 説教「主の洗礼」 岸野豊牧師
私たちの父である神と主イエス・ キリストからの恵みと平和があなた方にあるように。アーメン。
この礼拝に出席している皆さんの中に何人か洗礼をまだ受けていない方もいらっしゃいますが、すでに洗礼を受けた方々に二つの質問があります。
第一に自分の洗礼を受けた日はいつだったか覚えていますか?私はまだ生まれて三ヶ月ちょっとの4月12日のイースターの日でした、自分ではもちろんその記憶はありません。
第二にそれはどこでどのような形で洗礼を受けられましたか? 教会のBAPTISM FOUNTAIN の前で頭を下げて牧師さんによって水を三回、父と子と聖霊のみ名という言葉とともに注がれた方。または礼拝堂の前の方にある小さなプールのような所で全身水に浸されて洗礼を受けた方もいると思います。
もう何年か前のことですが、伝道主事として働いていたとき、ハワイのGloria Dei という教会で5人の人たちが洗礼を受ける手伝いをしました。それは教会の中ではなくbeach で海水に頭までつかってという形で行われたのです。
どのような洗礼の仕方が一番正しいかという議論がありますが、イエス様はヨルダン川の中で洗礼を受けたのです。またその洗礼を授けた人は洗礼者のヨハネです。 このヨハネのお母さんとイエス様のお母さんは従姉妹であったことはクリスマスのときに話しました。ですからイエス様とヨハネはまた従兄弟です。
イエス様が神様の子であるならどうして洗礼を受けなければならなかったのでしょうか?ヨハネは言いました。「私こそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、私の所にこられたのですか?」これは私たちにとっても疑問になる所です。そこでそのことを次の話で説明しましょう。
自動車会社のassembly line にある日、突然予告なしに会社の社長がやってきました。社長は上着を脱ぎ、ワイシャツの袖を上までまくってAssembly line の中に入り、みんなと言葉を交わしながら働き始めたのです。Assembly line の責任者は飛んできて言いました。「社長、こんな働き場になぜこられたのですか。ここは社長のような方には向かない所ですが」と。ところが、社長さんはこう言ったのです。「この会社の一番大切なところはAssembly line だ。それにそこで働くものがどういう風にやっているかを自分自身で見ることは私にとって一番大切なことと思っている。だから皆のことが分かるようになるには, そこで, いつしょのところで働かなくちゃ」。
Jesus’ baptism was a sort of “going down to the Assembly line.” He certainly did not have to do it. Some wondered why he did it.
Jesus came to earth as the Son of God so that God would understand the human predicament. Jesus was baptized because he wanted everyone to know that He was human. God did not know any other way to save the human race than to become himself the human race and to that end he came as a babe born in a manger. And today we see His Humanity in a very real way as Jesus was baptized.
Jesus was baptized so that he does understand the human predicament of sinner and saint. In Baptism we are made saints, or children of God, even though we are living in the sinfulness of this world.
ところで前の話に戻りますが、どのような形で洗礼を受けたかという質問より、一番大切なことは洗礼を受けるということはイエス・キリストを主として認め、イエスの教えを守ってゆく、イエスによって与えられた信仰を心の糧として生きてゆく決心をすることです。
ところで、教会によっては洗礼を受ける人はある程度の年をとったもの、つまり、15歳、16歳以上で聖書、また信仰についてのインストラクションを受けたひとだけという教会もあります。赤ちゃんはまだ神様のことがわからない。聖書の勉強もできない。ですからそれができるまで洗礼を受ける資格がないというのです。その反対にこのルーテル教会を含め、カトリック教会、エピスコパル教会、メソジスト教会、プレステペリアン教会、改革派教会,一般にMainline church と呼ばれている教会では赤ちゃんにも洗礼は与えられます。
私の両親は、父が大学生のとき、母は高校生のとき、教会に誘われて行くようになり、聖書の勉強をある程度した後に洗礼を受けたのですが、私は神様のことも、聖書のことも知らないで赤ちゃんの時洗礼を受けました。
私の住んでいるRiverside に、Harvest Church と言う有名なmega church があります。5千人以上の会員さんのいる教会でそこの主任牧師は毎年アナハイムのConvention Center で集まって来た一万人以上の人たちに神様の救いの教えを訴えています。私の息子、Andrew は中学生のときこの教会員の友達に誘われて土曜日に行なわれていた ロックンロ-ルの礼拝に行くようになりました。Andrew は ベースギターが好きなので,家内も私も別にそこに行くことに反対はしませんでしたし、そこで何人もの友達がいたので、自分で好きな礼拝に行きたいという彼の思いはそれでもいいじゃないかと、positiveに考えていたわけです。
しかし或る日突然Andrew はこの教会には行きたくないといい始めたのです。というのは、教会のリーダーが集まっていた若者に「あなたはキリストにしたがって生きてゆく決心があるか」と質問したのです。また、もしそういう決心がついた人に教会は洗礼をさずけるということが話されました。ロックンロール礼拝のリーダーの人、この人は大人の人ですがAndrew も含めて何人ものteen agerに洗礼を受けるように勧めました。そして彼はAndrew の目の前で“Andrew, do you wish to be baptized? Are you ready to decide to follow Christ as your personal savior?” と聞いたのです。Andrew はこう言いました。“But I have been baptized since I was a baby.”
このロックンロール礼拝の大人のりーダーは、Andrewに「赤ちゃんのときの洗礼は本当の洗礼ではない。赤ちゃんでどうして神様のことがわかりますか?自分で神様のことを学ぶという決心ができてこそ洗礼はい意味があるんだ」といったのです。家に帰ってきてAndrewは言いました。 “Dad, I'm not going to this church. I am already baptized. I am not going through another baptism. I know God loves me already.”
さて私は今日の洗礼について最後にもう一つ6歳の男の子の話をもって今日のメッセージを終わりたいと思います。その内容は「洗礼とは神様に対しての信頼と服従です」ということです。
小学校一年の6歳の男の子が朝 学校の門の前でdropped off された時、お父さんはこう言いました。「学校が終わってパパがまだすぐに来なかったら、門の前で座って待っていてね。うごぃちゃだめだよ。ほかのどっかにいっちゃだめだよ。ここでじっと待っててね。わかったかい。」男の子は「うんパパ、わかったよ」と返事をしました。さて学校が終わり、男の子は言われたとおり門の前に座ってお父さんが PICK UP に来るのを待っていました。お父さんが来るはずだった3時にお父さんの姿は見当たりません。4時になっても、5時にやってもお父さんはまだ来ないんです。さてスーパー マーケットで買い物をしていたお父さんすっかりお迎えのことを忘れていたした。それを思い出したのは5時15分のときでした。ああ2時間以上たってしまっている。あの子はちゃんと門の前で待ってていてくれてるだろうか。誰かに連れ去られたなんていう妄想が起こるほど気が転倒したのです。そして車で飛ばして学校の門の前まで行き着いた時、いました、いました、彼の息子、ただ一人でお父さんは遅くなっても必ず来るんだという信頼を持って辛抱強く待っていたのです。「お父さんがもしかしてこないじゃないかと思ったかい」と息子に震える声で聞いたとき6歳の息子さんはこうい言ったのです。「そんなことないよ、お父さん僕にそこを動くなって言ったじゃない。僕はお父さんが必ず来るって信じていたよ。」
この話と同じように洗礼とは神様に対しての信頼と服従です。私たちは神様に愛されている人間ですという確認を心の中に持った信仰者は自分の生涯、いろいろな問題、苦しみ、悩みにぶつかっつた時に、神様がいつも私たちとともにいてくださる、そのことを覚えるのです。
皆さんのよく知っている賛美歌に「慈しみ深き友なるイエスは」というすばらしい歌がありますね。この賛美歌のコピーが今日の週報の中に入っています。どうかこれを一緒に歌いましょう。神様の洗礼にあずかって神様を私たちの父と心に受け入れた喜びと心の支えをかみしめて一緒に歌いましょう。アーメン。
マタイによる福音書 3:13-17 説教「主の洗礼」 岸野豊牧師
私たちの父である神と主イエス・ キリストからの恵みと平和があなた方にあるように。アーメン。
この礼拝に出席している皆さんの中に何人か洗礼をまだ受けていない方もいらっしゃいますが、すでに洗礼を受けた方々に二つの質問があります。
第一に自分の洗礼を受けた日はいつだったか覚えていますか?私はまだ生まれて三ヶ月ちょっとの4月12日のイースターの日でした、自分ではもちろんその記憶はありません。
第二にそれはどこでどのような形で洗礼を受けられましたか? 教会のBAPTISM FOUNTAIN の前で頭を下げて牧師さんによって水を三回、父と子と聖霊のみ名という言葉とともに注がれた方。または礼拝堂の前の方にある小さなプールのような所で全身水に浸されて洗礼を受けた方もいると思います。
もう何年か前のことですが、伝道主事として働いていたとき、ハワイのGloria Dei という教会で5人の人たちが洗礼を受ける手伝いをしました。それは教会の中ではなくbeach で海水に頭までつかってという形で行われたのです。
どのような洗礼の仕方が一番正しいかという議論がありますが、イエス様はヨルダン川の中で洗礼を受けたのです。またその洗礼を授けた人は洗礼者のヨハネです。 このヨハネのお母さんとイエス様のお母さんは従姉妹であったことはクリスマスのときに話しました。ですからイエス様とヨハネはまた従兄弟です。
イエス様が神様の子であるならどうして洗礼を受けなければならなかったのでしょうか?ヨハネは言いました。「私こそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、私の所にこられたのですか?」これは私たちにとっても疑問になる所です。そこでそのことを次の話で説明しましょう。
自動車会社のassembly line にある日、突然予告なしに会社の社長がやってきました。社長は上着を脱ぎ、ワイシャツの袖を上までまくってAssembly line の中に入り、みんなと言葉を交わしながら働き始めたのです。Assembly line の責任者は飛んできて言いました。「社長、こんな働き場になぜこられたのですか。ここは社長のような方には向かない所ですが」と。ところが、社長さんはこう言ったのです。「この会社の一番大切なところはAssembly line だ。それにそこで働くものがどういう風にやっているかを自分自身で見ることは私にとって一番大切なことと思っている。だから皆のことが分かるようになるには, そこで, いつしょのところで働かなくちゃ」。
Jesus’ baptism was a sort of “going down to the Assembly line.” He certainly did not have to do it. Some wondered why he did it.
Jesus came to earth as the Son of God so that God would understand the human predicament. Jesus was baptized because he wanted everyone to know that He was human. God did not know any other way to save the human race than to become himself the human race and to that end he came as a babe born in a manger. And today we see His Humanity in a very real way as Jesus was baptized.
Jesus was baptized so that he does understand the human predicament of sinner and saint. In Baptism we are made saints, or children of God, even though we are living in the sinfulness of this world.
ところで前の話に戻りますが、どのような形で洗礼を受けたかという質問より、一番大切なことは洗礼を受けるということはイエス・キリストを主として認め、イエスの教えを守ってゆく、イエスによって与えられた信仰を心の糧として生きてゆく決心をすることです。
ところで、教会によっては洗礼を受ける人はある程度の年をとったもの、つまり、15歳、16歳以上で聖書、また信仰についてのインストラクションを受けたひとだけという教会もあります。赤ちゃんはまだ神様のことがわからない。聖書の勉強もできない。ですからそれができるまで洗礼を受ける資格がないというのです。その反対にこのルーテル教会を含め、カトリック教会、エピスコパル教会、メソジスト教会、プレステペリアン教会、改革派教会,一般にMainline church と呼ばれている教会では赤ちゃんにも洗礼は与えられます。
私の両親は、父が大学生のとき、母は高校生のとき、教会に誘われて行くようになり、聖書の勉強をある程度した後に洗礼を受けたのですが、私は神様のことも、聖書のことも知らないで赤ちゃんの時洗礼を受けました。
私の住んでいるRiverside に、Harvest Church と言う有名なmega church があります。5千人以上の会員さんのいる教会でそこの主任牧師は毎年アナハイムのConvention Center で集まって来た一万人以上の人たちに神様の救いの教えを訴えています。私の息子、Andrew は中学生のときこの教会員の友達に誘われて土曜日に行なわれていた ロックンロ-ルの礼拝に行くようになりました。Andrew は ベースギターが好きなので,家内も私も別にそこに行くことに反対はしませんでしたし、そこで何人もの友達がいたので、自分で好きな礼拝に行きたいという彼の思いはそれでもいいじゃないかと、positiveに考えていたわけです。
しかし或る日突然Andrew はこの教会には行きたくないといい始めたのです。というのは、教会のリーダーが集まっていた若者に「あなたはキリストにしたがって生きてゆく決心があるか」と質問したのです。また、もしそういう決心がついた人に教会は洗礼をさずけるということが話されました。ロックンロール礼拝のリーダーの人、この人は大人の人ですがAndrew も含めて何人ものteen agerに洗礼を受けるように勧めました。そして彼はAndrew の目の前で“Andrew, do you wish to be baptized? Are you ready to decide to follow Christ as your personal savior?” と聞いたのです。Andrew はこう言いました。“But I have been baptized since I was a baby.”
このロックンロール礼拝の大人のりーダーは、Andrewに「赤ちゃんのときの洗礼は本当の洗礼ではない。赤ちゃんでどうして神様のことがわかりますか?自分で神様のことを学ぶという決心ができてこそ洗礼はい意味があるんだ」といったのです。家に帰ってきてAndrewは言いました。 “Dad, I'm not going to this church. I am already baptized. I am not going through another baptism. I know God loves me already.”
さて私は今日の洗礼について最後にもう一つ6歳の男の子の話をもって今日のメッセージを終わりたいと思います。その内容は「洗礼とは神様に対しての信頼と服従です」ということです。
小学校一年の6歳の男の子が朝 学校の門の前でdropped off された時、お父さんはこう言いました。「学校が終わってパパがまだすぐに来なかったら、門の前で座って待っていてね。うごぃちゃだめだよ。ほかのどっかにいっちゃだめだよ。ここでじっと待っててね。わかったかい。」男の子は「うんパパ、わかったよ」と返事をしました。さて学校が終わり、男の子は言われたとおり門の前に座ってお父さんが PICK UP に来るのを待っていました。お父さんが来るはずだった3時にお父さんの姿は見当たりません。4時になっても、5時にやってもお父さんはまだ来ないんです。さてスーパー マーケットで買い物をしていたお父さんすっかりお迎えのことを忘れていたした。それを思い出したのは5時15分のときでした。ああ2時間以上たってしまっている。あの子はちゃんと門の前で待ってていてくれてるだろうか。誰かに連れ去られたなんていう妄想が起こるほど気が転倒したのです。そして車で飛ばして学校の門の前まで行き着いた時、いました、いました、彼の息子、ただ一人でお父さんは遅くなっても必ず来るんだという信頼を持って辛抱強く待っていたのです。「お父さんがもしかしてこないじゃないかと思ったかい」と息子に震える声で聞いたとき6歳の息子さんはこうい言ったのです。「そんなことないよ、お父さん僕にそこを動くなって言ったじゃない。僕はお父さんが必ず来るって信じていたよ。」
この話と同じように洗礼とは神様に対しての信頼と服従です。私たちは神様に愛されている人間ですという確認を心の中に持った信仰者は自分の生涯、いろいろな問題、苦しみ、悩みにぶつかっつた時に、神様がいつも私たちとともにいてくださる、そのことを覚えるのです。
皆さんのよく知っている賛美歌に「慈しみ深き友なるイエスは」というすばらしい歌がありますね。この賛美歌のコピーが今日の週報の中に入っています。どうかこれを一緒に歌いましょう。神様の洗礼にあずかって神様を私たちの父と心に受け入れた喜びと心の支えをかみしめて一緒に歌いましょう。アーメン。
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2010年1月10日顕現節聖餐礼拝”主の洗礼Baptism of Our Lord"岸野豊牧師
(admin002, 2010-1-14 18:57)