2010年6月13日聖霊降臨後第3主日礼拝「愛する心の秘訣」”The Secret of A Loving Heart”岸野豊牧師
- depth:
- 0
前の投稿
-
次の投稿
|
親投稿
-
子投稿なし
|
投稿日時 2010-6-17 19:16
admin002
居住地: Irvine, CA
投稿数: 291
居住地: Irvine, CA
投稿数: 291
聖霊降臨後第3主日礼拝 2010年6月13日
ルカによる福音書 7:36-50
「Loving Heart の秘密」 “The Secret of the loving heart”
私たちの父である神と主イエスキリストからの恵みと平和があなた方にあるように。アーメン。
ある男がサンフランシスコの骨董屋のお店にやつて来ました。なんかがらくた物ばかりのお店です。その中でこの男、床の上に置いてあった昔の中国の瀬戸物のお皿に関心を示しました。手にとってよく見るとこれはなんと何千年も昔のMing dynasty , つまり明王朝のものだとわかりました。これが本当にそのようなものであるなら、どうしてそんな足の踏み場も無いようなところにこれが置いてあるのかこの男にとって不思議でした。この皿の価値はすくなくとも百万円はすると彼は信じたのです。この店の主人はこの宝物の瀬戸物に何も興味を持っていないようだし、それにもましてその瀬戸物にお店で飼っている猫にやるミルクを今注いだばっかり。この男今この瀬戸物のお皿をどのようにして買い取るかの作戦を考え出しました。じっくり考えた後、彼はお店の主人にこのように言いました。「あんたの猫は可愛い猫ですね。実はいま私は可愛い猫を探しているんです。どうですか、あなたのその猫買いたいんですが」。店の主人は言いました。「その猫は売り物じゃないんです。店の中のねずみの始末のために飼っているんですよ」。「そうですか、それは残念。でも私はこの猫をどうしても買いたい。どうでしょう、百ドルでその猫を売ってくれませんか?」「そんな価値はこの猫には無いけれど、お客さん本当にその猫がほしいのならあげてもいいですよ」。「それは嬉しい、ところで何か、餌をやるお皿を買いたいんですが、どうでしょう、今ミルクの入ったお皿$10ドル払うから、私に買わしてください」。「お客さん、それは無理ですよ。というのはそのお皿は何千年も前のMing dynasty の時のものです。これは私の一番の宝物です。誰にもこれだけは売れるものではありません。それにしてもおかしいことにこのお皿を手にして以来、17匹の猫を売りましたよ」。
私はteenager の時、切手収集にこったことがあります。一時わたしの一番大切なものとは「月に雁」と言うその当時一万円でそれを買いたいという人もいました。それも今話したMing dynasty の話に良く似ています。物の価値をお金の金額で決めると言うのは昔から行われていたわけですが、今日の福音書の話は罪深い女、それは人間として価値の無いといわれている人がイエス様にとっては掛け替えの無い宝物であると言う話です。
ファリサイ派の人のところに食事に招待されたイエス様はどういう風にか、その場にもぐりこんできた、そしてみんなに嫌われていた女に足をこの女の涙でぬらされ、この女の髪でぬぐわれ、足をこの女に接吻され、香油も足に注がれたのです。そこにいた人たちはそんな罪深い女に接触するのは罪だとも言われていたのです。それに対してのイエス様の答えは素晴らしかった。「この人が多くの罪を許されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。許されることの少ないものは、愛することも少ない」と。イエス様は本当に人を愛するために来たのです。それも愛されて当然の人というよりも、人から嫌われていた者、罪深い者、汚れた者に彼の慈しみと慈愛を注ぐために私たちの中に来られたのです。それと反対にわたしたちの傲慢な心、わたし、わたし、わたしと自分が世界の中心にいる、そんな心の持ち方で自己中心の生き方を追求する時、わたしたちは神様を自分の身近なところから遥か遠くの方に追い払ってしまうのです。
今日の福音書の罪深い女はマグダラのマリアといわれていますが、本当にこの人は庶民から嫌われていました。夜の女であったかもしれない。家族のいない一人ぼっちの孤独な女であったかもしれない。だからこそこの女、イエス様にどうにか出会うことを願っていたのです。今までに人に本当に愛された経験がなかったのかもしれない。イエス様なら私を憐れんでくださる。マグダラのマリアはそう思ったに違いありません。悲しみの中で、孤独の中で、苦しみの中で、イエス様を慕う心は、私たちも同じです。私たちは本当にイエス様に愛されたいのです。
私の大好きな歌い手さんで弘田三枝子と言う人がいます。この人は自分の歌を歌う時,実に歌の歌詞を自分の心の奥底からにじみ出るように歌う西洋風な日本演歌歌手と私は感じています。日本に帰って友達とカラオケに行くと皆から「おい岸野、お前の18番 弘田三枝子の「人形のを歌ってくれといわれます。その歌詞はこのようです。「顔も見たくないほど貴方に嫌われるなんて、とても信じられない愛が消えた今も。埃にまみれた 人形みたい。愛されて、捨てられて、忘れた部屋の片すみ。私は貴方に命を預けた」。この歌を歌うたびに私はマグダらのマリアのことを考えるのです。人間は誰だって、誰かに愛されたいのです。イエス様はご自身のところへ 「助けてください、体を清めてください、世間から嫌われて一人ぼっちで生きているこの私を憐れんでください」というすべての人たちに「貴方は私にとって掛け替えの無い人間ですよ」といってくださっているのです。
他人に罪があるかないかと攻撃するものは自分の目の中に大きな木の丸太があるにもかかわらず、それが見えない人たちです。自分の欠点を良く知っている人、自分は神様に愛される資格の無いもの、しかしそれと反対にこのような欠点だらけの私を許してくださいと素直に言える者にイエス様は神様の聖霊を注ぎ、許しを与えてくださいます。これは本当です。神様、イエス様と感謝の心で祈りの会話を待つことのできる人たちは本当に幸福です。へりくだった心で祈りと感謝の心で神様と会話のできる様に私たちは努めて生きて行きたいのです。
ある敬虔なクリスチャンの女性がレストランで二人の娘さんと食事をしていた時の起こった出来事を紹介しましょう。食事をしている時、お母さんと娘さんたち、同じレストランの奥のほうに昔、娘さんたちのクラスの先生をしていた方を見つけました。その先生、ご主人と食事をしていたのです。さてお母さんと娘さんが食べ終わって席から出ようとした時、このお母さん、この際自分の娘たちに良くしてくださったお礼を、この先生に一言でもいいから言いたいと思いました。しかしこの先生、ご主人と真剣そうに話し合っている。そこで邪魔をしてはいけないのではとレストランを出るすぐ前まで どうしようと言う思いに駆られていたのですが、思い切って先生のところに行き、娘さんたちに良くしてくれた感謝の言葉を伝えたのです。
この先生、その瞬間涙ぼろぼろこぼして言いました。「ありがとうございます。実は今日、私は主人と、もう教師の仕事から離れたいと話していた所です。20年の教師生活の中で今日ほど辛い思いを感じたことは無かったのです。本当にありがとう」。
たった一言の感謝の言葉が人間を変えることがあるのです。感謝をする人も感謝を受ける人もその人間関係の中でお互いに素晴らしい真心を分かち合うことができるのです。
感謝すること、それは私たちの生活の中でもっとも必要な人間の心の持ち方ではないでしょうか。感謝の心は私たちの生活の中で大切なものに焦点を合わせます。人生のどのような状態の中でも必ず感謝することはあるのです。感謝するということは愛する心の秘密です。
ですから、次のようなアクションプランを立てて皆さんとともにそれを実行してゆきましょう。
1.毎日の生活の中でどの様に皆さんを賞賛する心の持ち方。
2.感謝の思いを生活の中で実行してゆくこと。
3.批判的な精神で人との交わりをしないこと。
4.何時もすべてのことに対して神様にイエス様の名を持って感謝すること。
5.私たちの心の持ち方はすべて私たちの出会う人たちに影響するのです。
このようにすべてをイエス様のように実行することができないかもしれません。しかし実行のできないその時に神様に祈ってください。その祈りをイエス様は必ず聞いてくださいます。
どうか主イエスの恵みが、あなた方と共にあるように。アーメン
ルカによる福音書 7:36-50
「Loving Heart の秘密」 “The Secret of the loving heart”
私たちの父である神と主イエスキリストからの恵みと平和があなた方にあるように。アーメン。
ある男がサンフランシスコの骨董屋のお店にやつて来ました。なんかがらくた物ばかりのお店です。その中でこの男、床の上に置いてあった昔の中国の瀬戸物のお皿に関心を示しました。手にとってよく見るとこれはなんと何千年も昔のMing dynasty , つまり明王朝のものだとわかりました。これが本当にそのようなものであるなら、どうしてそんな足の踏み場も無いようなところにこれが置いてあるのかこの男にとって不思議でした。この皿の価値はすくなくとも百万円はすると彼は信じたのです。この店の主人はこの宝物の瀬戸物に何も興味を持っていないようだし、それにもましてその瀬戸物にお店で飼っている猫にやるミルクを今注いだばっかり。この男今この瀬戸物のお皿をどのようにして買い取るかの作戦を考え出しました。じっくり考えた後、彼はお店の主人にこのように言いました。「あんたの猫は可愛い猫ですね。実はいま私は可愛い猫を探しているんです。どうですか、あなたのその猫買いたいんですが」。店の主人は言いました。「その猫は売り物じゃないんです。店の中のねずみの始末のために飼っているんですよ」。「そうですか、それは残念。でも私はこの猫をどうしても買いたい。どうでしょう、百ドルでその猫を売ってくれませんか?」「そんな価値はこの猫には無いけれど、お客さん本当にその猫がほしいのならあげてもいいですよ」。「それは嬉しい、ところで何か、餌をやるお皿を買いたいんですが、どうでしょう、今ミルクの入ったお皿$10ドル払うから、私に買わしてください」。「お客さん、それは無理ですよ。というのはそのお皿は何千年も前のMing dynasty の時のものです。これは私の一番の宝物です。誰にもこれだけは売れるものではありません。それにしてもおかしいことにこのお皿を手にして以来、17匹の猫を売りましたよ」。
私はteenager の時、切手収集にこったことがあります。一時わたしの一番大切なものとは「月に雁」と言うその当時一万円でそれを買いたいという人もいました。それも今話したMing dynasty の話に良く似ています。物の価値をお金の金額で決めると言うのは昔から行われていたわけですが、今日の福音書の話は罪深い女、それは人間として価値の無いといわれている人がイエス様にとっては掛け替えの無い宝物であると言う話です。
ファリサイ派の人のところに食事に招待されたイエス様はどういう風にか、その場にもぐりこんできた、そしてみんなに嫌われていた女に足をこの女の涙でぬらされ、この女の髪でぬぐわれ、足をこの女に接吻され、香油も足に注がれたのです。そこにいた人たちはそんな罪深い女に接触するのは罪だとも言われていたのです。それに対してのイエス様の答えは素晴らしかった。「この人が多くの罪を許されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。許されることの少ないものは、愛することも少ない」と。イエス様は本当に人を愛するために来たのです。それも愛されて当然の人というよりも、人から嫌われていた者、罪深い者、汚れた者に彼の慈しみと慈愛を注ぐために私たちの中に来られたのです。それと反対にわたしたちの傲慢な心、わたし、わたし、わたしと自分が世界の中心にいる、そんな心の持ち方で自己中心の生き方を追求する時、わたしたちは神様を自分の身近なところから遥か遠くの方に追い払ってしまうのです。
今日の福音書の罪深い女はマグダラのマリアといわれていますが、本当にこの人は庶民から嫌われていました。夜の女であったかもしれない。家族のいない一人ぼっちの孤独な女であったかもしれない。だからこそこの女、イエス様にどうにか出会うことを願っていたのです。今までに人に本当に愛された経験がなかったのかもしれない。イエス様なら私を憐れんでくださる。マグダラのマリアはそう思ったに違いありません。悲しみの中で、孤独の中で、苦しみの中で、イエス様を慕う心は、私たちも同じです。私たちは本当にイエス様に愛されたいのです。
私の大好きな歌い手さんで弘田三枝子と言う人がいます。この人は自分の歌を歌う時,実に歌の歌詞を自分の心の奥底からにじみ出るように歌う西洋風な日本演歌歌手と私は感じています。日本に帰って友達とカラオケに行くと皆から「おい岸野、お前の18番 弘田三枝子の「人形のを歌ってくれといわれます。その歌詞はこのようです。「顔も見たくないほど貴方に嫌われるなんて、とても信じられない愛が消えた今も。埃にまみれた 人形みたい。愛されて、捨てられて、忘れた部屋の片すみ。私は貴方に命を預けた」。この歌を歌うたびに私はマグダらのマリアのことを考えるのです。人間は誰だって、誰かに愛されたいのです。イエス様はご自身のところへ 「助けてください、体を清めてください、世間から嫌われて一人ぼっちで生きているこの私を憐れんでください」というすべての人たちに「貴方は私にとって掛け替えの無い人間ですよ」といってくださっているのです。
他人に罪があるかないかと攻撃するものは自分の目の中に大きな木の丸太があるにもかかわらず、それが見えない人たちです。自分の欠点を良く知っている人、自分は神様に愛される資格の無いもの、しかしそれと反対にこのような欠点だらけの私を許してくださいと素直に言える者にイエス様は神様の聖霊を注ぎ、許しを与えてくださいます。これは本当です。神様、イエス様と感謝の心で祈りの会話を待つことのできる人たちは本当に幸福です。へりくだった心で祈りと感謝の心で神様と会話のできる様に私たちは努めて生きて行きたいのです。
ある敬虔なクリスチャンの女性がレストランで二人の娘さんと食事をしていた時の起こった出来事を紹介しましょう。食事をしている時、お母さんと娘さんたち、同じレストランの奥のほうに昔、娘さんたちのクラスの先生をしていた方を見つけました。その先生、ご主人と食事をしていたのです。さてお母さんと娘さんが食べ終わって席から出ようとした時、このお母さん、この際自分の娘たちに良くしてくださったお礼を、この先生に一言でもいいから言いたいと思いました。しかしこの先生、ご主人と真剣そうに話し合っている。そこで邪魔をしてはいけないのではとレストランを出るすぐ前まで どうしようと言う思いに駆られていたのですが、思い切って先生のところに行き、娘さんたちに良くしてくれた感謝の言葉を伝えたのです。
この先生、その瞬間涙ぼろぼろこぼして言いました。「ありがとうございます。実は今日、私は主人と、もう教師の仕事から離れたいと話していた所です。20年の教師生活の中で今日ほど辛い思いを感じたことは無かったのです。本当にありがとう」。
たった一言の感謝の言葉が人間を変えることがあるのです。感謝をする人も感謝を受ける人もその人間関係の中でお互いに素晴らしい真心を分かち合うことができるのです。
感謝すること、それは私たちの生活の中でもっとも必要な人間の心の持ち方ではないでしょうか。感謝の心は私たちの生活の中で大切なものに焦点を合わせます。人生のどのような状態の中でも必ず感謝することはあるのです。感謝するということは愛する心の秘密です。
ですから、次のようなアクションプランを立てて皆さんとともにそれを実行してゆきましょう。
1.毎日の生活の中でどの様に皆さんを賞賛する心の持ち方。
2.感謝の思いを生活の中で実行してゆくこと。
3.批判的な精神で人との交わりをしないこと。
4.何時もすべてのことに対して神様にイエス様の名を持って感謝すること。
5.私たちの心の持ち方はすべて私たちの出会う人たちに影響するのです。
このようにすべてをイエス様のように実行することができないかもしれません。しかし実行のできないその時に神様に祈ってください。その祈りをイエス様は必ず聞いてくださいます。
どうか主イエスの恵みが、あなた方と共にあるように。アーメン
投票数:0
平均点:0.00
投稿ツリー
-
2010年6月13日聖霊降臨後第3主日礼拝「愛する心の秘訣」”The Secret of A Loving Heart”岸野豊牧師
(admin002, 2010-6-17 19:16)