2010年7月18日聖霊降臨後第8主日聖餐礼拝説教「マルタとマリア、あなたはどちら?」”Which one is you, Martha or Mary?"岸野豊牧師
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投稿日時 2010-7-19 23:43
admin002
居住地: Irvine, CA
投稿数: 291
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ルカによる福音書10:38-42
「マルタとマリア、あなたはどちら?」 “Which one is you, Martha or Mary?”
私たちの父である神と主イエス・ キリストからの恵みと平安が、あなた方にあるように。アーメン。
私の神学校のクラスメートにMary Smith と言う人がいます。なんだか極普通の名前だと思いましたが、この人のミドルネイムはMartha です。よく自分で私は二重性格と言っていました。と言うのは今日の福音書の話で有名な二人の姉妹、それは性格のまったく違うMarth (マルタ)とMary (マリヤ)がこの女性のFirst and Middle name だからです。
本当に今日の福音書を読んでみるとこの姉妹の性格の違いが昼と夜のように違います。マルタはお客様を接待することにとてもエネルギーを使う女性。その反対に、マリヤはお客様、特にイエス様の足元で話を聞くことが大好きな女性だったのです。
福音書の中でこの二人の女性と彼女たちのお兄さんラザロの名前は何回も出てきます。というのはイエス様にとってラザロ、マルタ、マリヤは友達として親しく付き合ってきた、そしてイエス様はエルサレムに来るときにはよく彼らの家に滞在されたからです。
三週間前日本に父の葬式で帰った時、久しぶりに日曜日の礼拝に出、その後お昼の愛餐にあずかりました。お手伝いしたかったのですが、岸野先生はお客さんですからどうぞお席についてくださいとご婦人たちに言われました。これはしかし私がお客さまだったからではない、よく見ると男の人で手伝っている人は1人もいないのです。そして一つ一つの食事もどうも男の人たちに先に出している。アメリカの一般の教会でこんな事はありません。それは習慣の違いと言ったらそれでお仕舞いかもしれませんが、キッチンは女の人のところ、そして食事の世話も女性がするのが当たり前の事は違和感を感じました。母も一昔前のことですが、まだ若く、そして私がまだ小学校のころ、もし誰かが家を訪れるとなるとその前の仕事が大変だったのを覚えています。まず掃除から始まり、お菓子を買いに行く。外に干してあった洗濯物を取り込んでそれを箪笥の中にしまい、スリッパを玄関に並べて、玄関前と前の通りも掃除する。そして最後に言われたことは、「ゆうちゃん、ちゃんと顔をきれいにして、髪の毛を梳かしなさい。」何かお客様が来る前に疲れてしまう。そんな感じの時をもったのを良く覚えています。これはまさにイエス様を目の前にしたマルタの接待の態度と同じだったと思います。だからこそ、マリヤがイエス様の接待を手伝ってくれていないことに愚痴をこぼしたのではないでしょうか?
この福音書の記事を読んでマルタとマリヤを色々の面から比べてしまいがちですが、イエス様にとってはこの二人とも掛替えの無い友達です。教会に来て一番大切なことは熱心に神様の話を聴くことと一般には思われているのですが、それでは教会で奉仕をする、愛餐の世話をするのは大切な教会の仕事ではないのでしょうか?
アメリカではCOSTOMER IS KING と言いますが、日本ではお客さんは神様です。ただ単にマルタはイエス様の足元に座ってイエス様の話を聞いていなかったと言うことでマルタを非難することは良くないことです。マルタのイエス様に対してのHOSPITALITY を批判してはいけません。40節にマルタがイエス様に言った言葉が書いてあります。「主よ、私の姉妹は私だけにもてなしをさせていますが、なんとも思いになりませんか」と。このもてなしと言う言葉はギリシャ語でDIAKONIA 、それは日本語で「奉仕」という言葉で説明されています。奉仕と言う言葉、それは神様の御心にかなう行いです。42節に「マリヤは良い方を選んだのだ」と書いてありますが、それではマリヤのイエス様の元でイエス様のみ言葉を聞くと言うことはマルタのイエス様への持て成しより優れていると言う意味ですか?私は思うのですが、この二人ともお互いのやり方でイエス様への弟子としての態度を示したのではないでしょうか。
私の母は私が中学生になった時、パートで順天堂病院の食堂に働くようになりました。其の時親戚、特に母の姉、また妹に随分反対されたことを私は知っています。特に学習院と言う学校でPTA の会長をしていた母の妹から、「おねいさま、そんな恥ずかしいことしないでください」と言われたのです。しかし母は開き直って「私が何したっていいじゃない。仕事はきつくても皆と一緒に働くのは楽しいわ」とそれ以来退職するまで欠勤することなく勤めたのです。今でも男の人は給料を稼ぐ人、女の人は子どもの世話と家事を勤める、そんな言い方を言う人が日本では少しはいるかもしれない、でもそれはアメリカでは通用しないし、私の家族では共稼ぎが32年当たり前のこととして続いています。は教会の愛餐の所に戻りますが、其れも台所の話。「私もてなしをすることはうまくないので失礼ですが、席に座っておしゃべりさせていただきます」という女性が来たらみんなの眼がくりくりになるかもしれない。それと反対に「僕は台所で働くのが好きですので料理から皿洗いまでやらせてください」と言う男の人が出てきたら皆さんどう対処しますか?私たちは私たち一人ひとりが神様から頂いた、これこそあなたのギフトと言うものを心のそこから実行する、それが出来る人は幸福です。誰もがイエス様のみ言葉を聞く、誰もが食事の世話、または奉仕をする。そのどちらがもっと大切かということは言えないと思います。
さて質問があります。みなさんの中で 自分のエネルギーは何時も人との付き合い、それも一日中皆なと一緒にいる、そんなことで元気が出る人、しかしその反対に、自分は他の人と一緒にいてもいいけれど、どうしてもじ自分だけでいる時を沢山ほしいという、英語で言うextravert とintrovert の違いがあります。さてあなたはどちらの方ですか?私は人と一緒にいることによって力を得ます。よく事務所で1人で説教の準備などしているとき、お昼になっても、おなかが空いても、1人で食べるのがあまり好きではありません。ですからカップ ヌードルなんか1人で食べる時は私の一番嫌いな時です。しかし1人でいるときがあるからこそ、その時に聖書を読んだり、一人で祈りの時、また心配事を神様に打ち明ける時もあるのです。誰もがみな一日に同じ24時間をもっています。それをどの様に皆さんは使っていますか?夜寝る時間、それは6時間ぐらい、車の運転している時間は一日で平均3時間、家で食べる時間はせいぜい30分。ですから週に3,4回外食するのが私と家内の二人だけで色々なことを話すことができる大切な時です。
父を失ってとうとう私が岸野家の一番年上の人間になりました。私の父は87歳でした。日本人は世界で一番長生きする国民と言われていますが、そうすると私もあと20年しか残された人生ですね。その20年をどの様に生きていくかが私の人生にとっての課題です。先週3年ぶりに全身の健康診断を受けました。ストレステストもやりました。お医者さんにあなたは58歳にしては健康ですよと言われましたが、Nancy が私のコレストロールと血糖値 が少し高いのを知って、「これからは甘いものをあまり取っちゃだめよ、特に大福はね」と言われてやれやれという気になりました。残された人生の中で時間をどの様に有効に使っていくか、私のできること、あるいはするべきことは何なのか、そんなことを考える時間がこのごろ多くなったのです。しかし私、家内のナンシーも含めてこれからどの様に意義ある残された人生を生きていけるよう、特に父親の死に面して考えるようになったのです。
そういう意味で、今日の福音書に出てきたマルタとマリヤのイエス様への関係を見て、私はもっとマリヤのように神様と会話のできる人になりたいなと思うようになりました。皆さんからこれは牧師さんの様な人の言い方ではないですねと言われるかも知れない。しかし実際そのとおりです。私の仕事は神様の福音を皆さんと読むこと、聞くこと、それも頭で読むのではなく神様を慕う心で読むことです。神様の言葉を聴いて、神様の存在を近くに感じて、又ある時には神様が遠い所にいる、それでは何故、どうしたら私たちは神様の身元に近づく事ができるのか。そういうことを一緒に話し、祈る時を持っていくこと、それは牧師だけではなく、キリストに従うすべての人に大切なことです。
どうか神様があなたと何時もいらっしゃるよう、そして神様によって生かされているその時を大切にして毎日を大切に過ごしていきましょう。アーメン。
「マルタとマリア、あなたはどちら?」 “Which one is you, Martha or Mary?”
私たちの父である神と主イエス・ キリストからの恵みと平安が、あなた方にあるように。アーメン。
私の神学校のクラスメートにMary Smith と言う人がいます。なんだか極普通の名前だと思いましたが、この人のミドルネイムはMartha です。よく自分で私は二重性格と言っていました。と言うのは今日の福音書の話で有名な二人の姉妹、それは性格のまったく違うMarth (マルタ)とMary (マリヤ)がこの女性のFirst and Middle name だからです。
本当に今日の福音書を読んでみるとこの姉妹の性格の違いが昼と夜のように違います。マルタはお客様を接待することにとてもエネルギーを使う女性。その反対に、マリヤはお客様、特にイエス様の足元で話を聞くことが大好きな女性だったのです。
福音書の中でこの二人の女性と彼女たちのお兄さんラザロの名前は何回も出てきます。というのはイエス様にとってラザロ、マルタ、マリヤは友達として親しく付き合ってきた、そしてイエス様はエルサレムに来るときにはよく彼らの家に滞在されたからです。
三週間前日本に父の葬式で帰った時、久しぶりに日曜日の礼拝に出、その後お昼の愛餐にあずかりました。お手伝いしたかったのですが、岸野先生はお客さんですからどうぞお席についてくださいとご婦人たちに言われました。これはしかし私がお客さまだったからではない、よく見ると男の人で手伝っている人は1人もいないのです。そして一つ一つの食事もどうも男の人たちに先に出している。アメリカの一般の教会でこんな事はありません。それは習慣の違いと言ったらそれでお仕舞いかもしれませんが、キッチンは女の人のところ、そして食事の世話も女性がするのが当たり前の事は違和感を感じました。母も一昔前のことですが、まだ若く、そして私がまだ小学校のころ、もし誰かが家を訪れるとなるとその前の仕事が大変だったのを覚えています。まず掃除から始まり、お菓子を買いに行く。外に干してあった洗濯物を取り込んでそれを箪笥の中にしまい、スリッパを玄関に並べて、玄関前と前の通りも掃除する。そして最後に言われたことは、「ゆうちゃん、ちゃんと顔をきれいにして、髪の毛を梳かしなさい。」何かお客様が来る前に疲れてしまう。そんな感じの時をもったのを良く覚えています。これはまさにイエス様を目の前にしたマルタの接待の態度と同じだったと思います。だからこそ、マリヤがイエス様の接待を手伝ってくれていないことに愚痴をこぼしたのではないでしょうか?
この福音書の記事を読んでマルタとマリヤを色々の面から比べてしまいがちですが、イエス様にとってはこの二人とも掛替えの無い友達です。教会に来て一番大切なことは熱心に神様の話を聴くことと一般には思われているのですが、それでは教会で奉仕をする、愛餐の世話をするのは大切な教会の仕事ではないのでしょうか?
アメリカではCOSTOMER IS KING と言いますが、日本ではお客さんは神様です。ただ単にマルタはイエス様の足元に座ってイエス様の話を聞いていなかったと言うことでマルタを非難することは良くないことです。マルタのイエス様に対してのHOSPITALITY を批判してはいけません。40節にマルタがイエス様に言った言葉が書いてあります。「主よ、私の姉妹は私だけにもてなしをさせていますが、なんとも思いになりませんか」と。このもてなしと言う言葉はギリシャ語でDIAKONIA 、それは日本語で「奉仕」という言葉で説明されています。奉仕と言う言葉、それは神様の御心にかなう行いです。42節に「マリヤは良い方を選んだのだ」と書いてありますが、それではマリヤのイエス様の元でイエス様のみ言葉を聞くと言うことはマルタのイエス様への持て成しより優れていると言う意味ですか?私は思うのですが、この二人ともお互いのやり方でイエス様への弟子としての態度を示したのではないでしょうか。
私の母は私が中学生になった時、パートで順天堂病院の食堂に働くようになりました。其の時親戚、特に母の姉、また妹に随分反対されたことを私は知っています。特に学習院と言う学校でPTA の会長をしていた母の妹から、「おねいさま、そんな恥ずかしいことしないでください」と言われたのです。しかし母は開き直って「私が何したっていいじゃない。仕事はきつくても皆と一緒に働くのは楽しいわ」とそれ以来退職するまで欠勤することなく勤めたのです。今でも男の人は給料を稼ぐ人、女の人は子どもの世話と家事を勤める、そんな言い方を言う人が日本では少しはいるかもしれない、でもそれはアメリカでは通用しないし、私の家族では共稼ぎが32年当たり前のこととして続いています。は教会の愛餐の所に戻りますが、其れも台所の話。「私もてなしをすることはうまくないので失礼ですが、席に座っておしゃべりさせていただきます」という女性が来たらみんなの眼がくりくりになるかもしれない。それと反対に「僕は台所で働くのが好きですので料理から皿洗いまでやらせてください」と言う男の人が出てきたら皆さんどう対処しますか?私たちは私たち一人ひとりが神様から頂いた、これこそあなたのギフトと言うものを心のそこから実行する、それが出来る人は幸福です。誰もがイエス様のみ言葉を聞く、誰もが食事の世話、または奉仕をする。そのどちらがもっと大切かということは言えないと思います。
さて質問があります。みなさんの中で 自分のエネルギーは何時も人との付き合い、それも一日中皆なと一緒にいる、そんなことで元気が出る人、しかしその反対に、自分は他の人と一緒にいてもいいけれど、どうしてもじ自分だけでいる時を沢山ほしいという、英語で言うextravert とintrovert の違いがあります。さてあなたはどちらの方ですか?私は人と一緒にいることによって力を得ます。よく事務所で1人で説教の準備などしているとき、お昼になっても、おなかが空いても、1人で食べるのがあまり好きではありません。ですからカップ ヌードルなんか1人で食べる時は私の一番嫌いな時です。しかし1人でいるときがあるからこそ、その時に聖書を読んだり、一人で祈りの時、また心配事を神様に打ち明ける時もあるのです。誰もがみな一日に同じ24時間をもっています。それをどの様に皆さんは使っていますか?夜寝る時間、それは6時間ぐらい、車の運転している時間は一日で平均3時間、家で食べる時間はせいぜい30分。ですから週に3,4回外食するのが私と家内の二人だけで色々なことを話すことができる大切な時です。
父を失ってとうとう私が岸野家の一番年上の人間になりました。私の父は87歳でした。日本人は世界で一番長生きする国民と言われていますが、そうすると私もあと20年しか残された人生ですね。その20年をどの様に生きていくかが私の人生にとっての課題です。先週3年ぶりに全身の健康診断を受けました。ストレステストもやりました。お医者さんにあなたは58歳にしては健康ですよと言われましたが、Nancy が私のコレストロールと血糖値 が少し高いのを知って、「これからは甘いものをあまり取っちゃだめよ、特に大福はね」と言われてやれやれという気になりました。残された人生の中で時間をどの様に有効に使っていくか、私のできること、あるいはするべきことは何なのか、そんなことを考える時間がこのごろ多くなったのです。しかし私、家内のナンシーも含めてこれからどの様に意義ある残された人生を生きていけるよう、特に父親の死に面して考えるようになったのです。
そういう意味で、今日の福音書に出てきたマルタとマリヤのイエス様への関係を見て、私はもっとマリヤのように神様と会話のできる人になりたいなと思うようになりました。皆さんからこれは牧師さんの様な人の言い方ではないですねと言われるかも知れない。しかし実際そのとおりです。私の仕事は神様の福音を皆さんと読むこと、聞くこと、それも頭で読むのではなく神様を慕う心で読むことです。神様の言葉を聴いて、神様の存在を近くに感じて、又ある時には神様が遠い所にいる、それでは何故、どうしたら私たちは神様の身元に近づく事ができるのか。そういうことを一緒に話し、祈る時を持っていくこと、それは牧師だけではなく、キリストに従うすべての人に大切なことです。
どうか神様があなたと何時もいらっしゃるよう、そして神様によって生かされているその時を大切にして毎日を大切に過ごしていきましょう。アーメン。
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2010年7月18日聖霊降臨後第8主日聖餐礼拝説教「マルタとマリア、あなたはどちら?」”Which one is you, Martha or Mary?"岸野豊牧師
(admin002, 2010-7-19 23:43)