2010年7月25日聖霊降臨後第9主日聖餐礼拝説教「マラナ・タ、主のみ国がきますように」”Marana Tha, May Your Kingdom Come!"岸野豊牧師
- depth:
- 0
前の投稿
-
次の投稿
|
親投稿
-
子投稿なし
|
投稿日時 2010-7-29 0:47
admin002
居住地: Irvine, CA
投稿数: 291
居住地: Irvine, CA
投稿数: 291
聖霊降臨後第9主日聖餐礼拝
ルカによる福音書11章1-13節
「マラナ・タ、主のみ国が来ますように」
“Marana Tha, May Your Kingdom Come!”
私たちの主イエス・キリストから恵みと平安が皆様の上にあるように。アーメン。
このごろ、飛行機が気流の悪い所を飛んでいる時一気に100メーター、200メーター高度が落ちると言う不気味なニュースをよく聞きます。実際あった話ですが、何人も怪我人を出した飛行機のpilot さん、このようなアナウンスメントを機内に流したのです。「お客さんのうち司祭の方、或いは牧師さんいらっしゃいますか?出来たらお祈りをして欲しいのですが」と。これはこまつた時の神頼みではないけれど、人間誰でもこんな時には祈らなくて居られないのです。この司祭の方どんなお祈りをしたのか知りませんが彼の祈りが彼のそばにいた人たちに心の安らぎを与えてくれたと聞いています。宗教心の無い人も危機に落ち入った時、それも藁にすがりつくように、祈る気持ちになるのではないでしょうか。
私はクリスチャンの家庭で育ちましたのでお祈りの時をよく経験しています。父からも、母からも祈りは神様への会話だよと何時も言われていましたので、牧師31年間やってきたわけですが、皆さんに岸野先生の祈りは神様との会話と指摘されて、私はそれ以外なお祈りができませんと答えるほかありません。すばらしいお祈りのできる方、それはその方には祈ることがその人のSpiritual gift であると思います。
ところで世界中で一番知られている祈りは「主の祈り」です。主の祈りは歌として世界中の人に知られています。これは素晴らしいことと思うのですが主の祈りを世界中の言葉で一緒に祈るとき不思議なことに初めから終わりまで一緒に同じリズムで祈れることを知っていますか? 教会で主の祈りは毎週祈ります。その他のmeeting でも開会式、閉会式、またRobert’s Rules of Order という会議のやり方を説明する本にも主の祈りは “How to close the meeting”として使われてもいいと書いてあるのです。
主の祈りは勿論イエス様が私たちに祈りの手本としてくださった祈りでもあります。イエスさまの弟子たちが「主よどの様に祈るかを教えて下さい」という質問に対してイエス様ご自身がくださった祈りでもあります。英語で皆さんの知っている “King James”の聖書では69 words で書かれています。教会で祈る時間は説教の時間以上あると良く聞きますが、その69 words ですべての祈りに関することが簡潔に祈られているのです。長い祈りが良いわけではありません。
「天にまします我らの父よ」、その父と言う言葉、当時イエス様の語られていたアラム語で「アバ」といいます。これはお父ちゃんという意味の幼児語で、信頼や愛のある家族の言葉です。主の祈りを祈るものは神様を「アバ」と呼びかけることのできる関係に居るのです。
主の祈りには祈りのパターンを私たちに教えてくださっているのです。
最初に祈られることは神様に対しての私たちの賛美、また神様を賞賛することです。祈りについて忘れてはならないことのひとつは、祈りの中で、神様を最初に考えてくださいと言うことです。私たち困った時の神頼りなんていいますが、そういう祈りは自分のことしか念頭にありません。困っている時神様に祈るのは当然です。しかし神様の偉大さと英語で言うGoodness を最初に祈りの中で覚えて欲しいのです。ですから主の祈りは「天にまします我らの父よ、願わくはみ名をあがめさせたまえ」と始まるのです。夜、まだ小さい男の子の寝る前に、お母さんはこう言いました。「もう神様にお祈りしましたか?」それに対して返ってきた言葉はこうでした。「いいえ、今日はお祈りしなくてもいいの」です。「何故ですか?」とお母さん。息子の答えはこうでした。「だって、お母さん、僕、神様からほしもの今何もないよ。」これは無邪気な子どもだけでなく大人にも言えることです。と言うのはあまりにも私たちの祈りは、いや祈りをすること自体、私たちを主人公として、つまり、わたしのために何かください、してくださいと言うことが最初に念頭に出てきてしまうのです。
イエス様は、次に私たちのあれこれしてくださいと言う祈りより、神様の御心にかなうことを祈りましょうと言われているのです。その次に私たちは自分、自分たちのお願い事を祈りで出すことができます。それは日毎に必要なもの、また私たちのお願い事です。その中には私たちの犯した罪をお許しくださいという祈りも当然でてくるのです。その一つ一つを心の中でいいですから神様に告白するのです。神様、イエスさまは、あなたの良心的な祈りを必ず聞いてくださいます。ただし、神様の貴方に下さる祈りの返答は必ずしも貴方が思っていた返答で無いかもしれない。覚えてほしい事は神様は何時も貴方の心の底からの祈りを聞いてくださるということです。
少し脱線しますが、英語での Joke でこういうことを聞きました。若い独身の女性が言った言葉です。日本語に訳しにくいので英語で言います。これは祈りとは自己中心のものではいけないと言われた時にこの女性が言った言葉です。
“I don’t pray for a husband. I just pray God will send my mother a son in law.”
私たちの教会で聖餐式に歌うマラナ・タという讃美歌があります。とても良い曲で私たちの好きな讃美歌です。マラナ・タとは主のみ国が来ますようにと言う意味です。
ところでアメリカの中でChristian apparel, つまり クリスチャンを対象にした若者の洋服、特にT-shirt とかjeans の専門の店がこのごろたくさん出てきました。聖書の言葉をそのままT-shirtに入れたりするのです。特によく見かけるのは NOT OF THIS WORLDとプリントされたT Shirt です。それがどのような意味で若者の中で解釈されているのかはっきり言って分かりませんが、クリスチャンの保守的なグループの中で、神の国は最終的にはこの地上でできるものではない、神の国はそれこそ天国なんだ。その天国に入れるように神様の言葉を聞こう、祈ろうという熱意のこもったクリスチャンであることは確かなのですが、私は天国と言うものをこの世で経験できる、そしてイエス様、神様は今ここに、私たちと共にいらっしゃる, 従って、 神の国はこの地上、私たちの住むここにあるので。み国が来ますようにとは、この私たちの生きている真ん中に神様は私たちと一緒にいらっしゃってくださいと言うことです。私たちが悲しいその中、私たちが悩むその時、私たちが心の底から神様私たちを見捨てないでくださいと祈るとき、イエス様、神様はそこにいらっしゃるのです。神様のみ国がそこにあるのです。
私の好きな福音書の言葉はルカによる福音書17:20-21です。そこにはこう書かれています。「神の国は、見られる形で来るものではない。神の国は実にあなた方のただ中にあるのだ。」神の国が主を求める私たちの心の中にある、神様は何時も私たちと一緒に居られると言うことを覚えてください。神様は愛と平安と希望を私たちに何時も送ってくださいます。アーメン.
ルカによる福音書11章1-13節
「マラナ・タ、主のみ国が来ますように」
“Marana Tha, May Your Kingdom Come!”
私たちの主イエス・キリストから恵みと平安が皆様の上にあるように。アーメン。
このごろ、飛行機が気流の悪い所を飛んでいる時一気に100メーター、200メーター高度が落ちると言う不気味なニュースをよく聞きます。実際あった話ですが、何人も怪我人を出した飛行機のpilot さん、このようなアナウンスメントを機内に流したのです。「お客さんのうち司祭の方、或いは牧師さんいらっしゃいますか?出来たらお祈りをして欲しいのですが」と。これはこまつた時の神頼みではないけれど、人間誰でもこんな時には祈らなくて居られないのです。この司祭の方どんなお祈りをしたのか知りませんが彼の祈りが彼のそばにいた人たちに心の安らぎを与えてくれたと聞いています。宗教心の無い人も危機に落ち入った時、それも藁にすがりつくように、祈る気持ちになるのではないでしょうか。
私はクリスチャンの家庭で育ちましたのでお祈りの時をよく経験しています。父からも、母からも祈りは神様への会話だよと何時も言われていましたので、牧師31年間やってきたわけですが、皆さんに岸野先生の祈りは神様との会話と指摘されて、私はそれ以外なお祈りができませんと答えるほかありません。すばらしいお祈りのできる方、それはその方には祈ることがその人のSpiritual gift であると思います。
ところで世界中で一番知られている祈りは「主の祈り」です。主の祈りは歌として世界中の人に知られています。これは素晴らしいことと思うのですが主の祈りを世界中の言葉で一緒に祈るとき不思議なことに初めから終わりまで一緒に同じリズムで祈れることを知っていますか? 教会で主の祈りは毎週祈ります。その他のmeeting でも開会式、閉会式、またRobert’s Rules of Order という会議のやり方を説明する本にも主の祈りは “How to close the meeting”として使われてもいいと書いてあるのです。
主の祈りは勿論イエス様が私たちに祈りの手本としてくださった祈りでもあります。イエスさまの弟子たちが「主よどの様に祈るかを教えて下さい」という質問に対してイエス様ご自身がくださった祈りでもあります。英語で皆さんの知っている “King James”の聖書では69 words で書かれています。教会で祈る時間は説教の時間以上あると良く聞きますが、その69 words ですべての祈りに関することが簡潔に祈られているのです。長い祈りが良いわけではありません。
「天にまします我らの父よ」、その父と言う言葉、当時イエス様の語られていたアラム語で「アバ」といいます。これはお父ちゃんという意味の幼児語で、信頼や愛のある家族の言葉です。主の祈りを祈るものは神様を「アバ」と呼びかけることのできる関係に居るのです。
主の祈りには祈りのパターンを私たちに教えてくださっているのです。
最初に祈られることは神様に対しての私たちの賛美、また神様を賞賛することです。祈りについて忘れてはならないことのひとつは、祈りの中で、神様を最初に考えてくださいと言うことです。私たち困った時の神頼りなんていいますが、そういう祈りは自分のことしか念頭にありません。困っている時神様に祈るのは当然です。しかし神様の偉大さと英語で言うGoodness を最初に祈りの中で覚えて欲しいのです。ですから主の祈りは「天にまします我らの父よ、願わくはみ名をあがめさせたまえ」と始まるのです。夜、まだ小さい男の子の寝る前に、お母さんはこう言いました。「もう神様にお祈りしましたか?」それに対して返ってきた言葉はこうでした。「いいえ、今日はお祈りしなくてもいいの」です。「何故ですか?」とお母さん。息子の答えはこうでした。「だって、お母さん、僕、神様からほしもの今何もないよ。」これは無邪気な子どもだけでなく大人にも言えることです。と言うのはあまりにも私たちの祈りは、いや祈りをすること自体、私たちを主人公として、つまり、わたしのために何かください、してくださいと言うことが最初に念頭に出てきてしまうのです。
イエス様は、次に私たちのあれこれしてくださいと言う祈りより、神様の御心にかなうことを祈りましょうと言われているのです。その次に私たちは自分、自分たちのお願い事を祈りで出すことができます。それは日毎に必要なもの、また私たちのお願い事です。その中には私たちの犯した罪をお許しくださいという祈りも当然でてくるのです。その一つ一つを心の中でいいですから神様に告白するのです。神様、イエスさまは、あなたの良心的な祈りを必ず聞いてくださいます。ただし、神様の貴方に下さる祈りの返答は必ずしも貴方が思っていた返答で無いかもしれない。覚えてほしい事は神様は何時も貴方の心の底からの祈りを聞いてくださるということです。
少し脱線しますが、英語での Joke でこういうことを聞きました。若い独身の女性が言った言葉です。日本語に訳しにくいので英語で言います。これは祈りとは自己中心のものではいけないと言われた時にこの女性が言った言葉です。
“I don’t pray for a husband. I just pray God will send my mother a son in law.”
私たちの教会で聖餐式に歌うマラナ・タという讃美歌があります。とても良い曲で私たちの好きな讃美歌です。マラナ・タとは主のみ国が来ますようにと言う意味です。
ところでアメリカの中でChristian apparel, つまり クリスチャンを対象にした若者の洋服、特にT-shirt とかjeans の専門の店がこのごろたくさん出てきました。聖書の言葉をそのままT-shirtに入れたりするのです。特によく見かけるのは NOT OF THIS WORLDとプリントされたT Shirt です。それがどのような意味で若者の中で解釈されているのかはっきり言って分かりませんが、クリスチャンの保守的なグループの中で、神の国は最終的にはこの地上でできるものではない、神の国はそれこそ天国なんだ。その天国に入れるように神様の言葉を聞こう、祈ろうという熱意のこもったクリスチャンであることは確かなのですが、私は天国と言うものをこの世で経験できる、そしてイエス様、神様は今ここに、私たちと共にいらっしゃる, 従って、 神の国はこの地上、私たちの住むここにあるので。み国が来ますようにとは、この私たちの生きている真ん中に神様は私たちと一緒にいらっしゃってくださいと言うことです。私たちが悲しいその中、私たちが悩むその時、私たちが心の底から神様私たちを見捨てないでくださいと祈るとき、イエス様、神様はそこにいらっしゃるのです。神様のみ国がそこにあるのです。
私の好きな福音書の言葉はルカによる福音書17:20-21です。そこにはこう書かれています。「神の国は、見られる形で来るものではない。神の国は実にあなた方のただ中にあるのだ。」神の国が主を求める私たちの心の中にある、神様は何時も私たちと一緒に居られると言うことを覚えてください。神様は愛と平安と希望を私たちに何時も送ってくださいます。アーメン.
投票数:0
平均点:0.00
投稿ツリー
-
2010年7月25日聖霊降臨後第9主日聖餐礼拝説教「マラナ・タ、主のみ国がきますように」”Marana Tha, May Your Kingdom Come!"岸野豊牧師
(admin002, 2010-7-29 0:47)